クリーク・1995年4/20号
著者解剖図鑑5『リバーズ・エッジ』
岡崎京子さん
”終わらない”退屈な日常が続くからこそ
人生はつらい。そのつらさは老若男女同じ。


”「終わり”は、何か違うものの”始まり”であることが多い。
たとえば、「私の青春は終わった」などとため息とともにつぶやき寂寥の念を
感じたとしても、
”青春の終わり”は”大人の始まり”、新しい何かの始まりでもあるのだ。
「そういう意味で、私は世界が終わってしまうといった世紀末の終末感より、
 むしろ”世界が終わらないこと”のほうが怖い。
 終わらない、この日常をジタバタ生きていくことの方が恐ろしい」
と、『リバーズ・エッジ』の作者・岡崎京子さんは言う。
「終わらない平凡な日常を生きつづけなければならない」という思いを抱えた
高校生達が、河原での”死体発見”をきっかけに複数の物語の中に組み込まれていく
この作品は、何のカタルシスもない”今”という瞬間と、そこに生きなければならない
私たちの思いを克明に描ききっている。
「若い子向けの雑誌に連載していたので、この話が受け入れられるかどうか、
 初めは不安だった。今の若い子ってうきうきと楽しかったり、
 快楽的なことばっかり追いかけているような。
 でも、この話のようなどろどろした気持ちってその裏にあるんじゃないかと
 思ったんです。そもそも初めは『ハレンチ学園』のような派手な学園コメディーの予定(笑)
 だったんだけど」

現実では主人公は一人じゃないはず。


 主人公たちは高校生で、人生始まったばかりなのに、なぜそんな思いを抱えているのか。
 「長生きすることを考えると、16歳でも8歳でも52歳でも、生きることの退屈さは変わらない。
 実際、私が思うのは、絶望って成熟の度合いによって深さが違うわけでもない、ということ。
 たとえば8歳の子がお弁当を食べて唐揚げだと思ったのがチクワだったときの絶望や、
 『明日はいていくからタンスから出しておいてね』とお母さんにお願いしていたスカートが
 しわくちゃだ、といった時の絶望を思い出すと、今感じるような絶望とあまり変わらないでしょ?」
 メインの主人公が3人、そのほかにもさまざまな背景を持った登場人物が
複数の物語を同時進行させていくこの話の形態は、わかりやすくいえば映画『ショート・カッツ』
や『パルプ・フィクション』などの手法と同じもの。
 「小説でもなんでも、お話って一つの物語だけを追ってそれをラストまでもっていく、
 というのが今までの形。でも現実ではAさんはAさんの人生の主人公だし、
 BさんにはBさんの思惑がある。複数の物事が同時に起こるわけです。
 それが幸せか不幸かはわからないけれど。話が多ければ多いほど統合性は難しくなるので、
 問題はその話の重ね方=編集の仕方ですね」

一番の師匠はD・リンチ、一生ついていきます。

 岡崎さん自身はこういった物語の描き方をデビッド・リンチの作品から学んだ、という。
 「もう、一生ついていきますー、リンチ様(笑)。本当に彼の作品にはお世話になりました。
 たとえば『ツイン・ピークス』。いろんなエピソードが詰め込んであって、最終的に
 それぞれにどんな意味があるのか、何の説明もなし(笑)。そんなふうに破綻してても
 魅力的な作品なんです」
 漫画を描いて10年、どういうふうに描けば自分の感じていることが表現できるのか、やっと
 「”漫画道”が見えてきた(笑)」
 と岡崎さんは言う。
 「ずーっと人生の信条はセックス・ドラッグ・ロックンロールだったけれど、
 最近それも疲れてきたなと感じることもある。自分の世代の女の人にとって
 一番のテーマは『他人に浸食される自分にどう折り合いをつけるか』ということ。
 自分の世界にこだわりを持っている人ほど、他人との共同生活で妥協しなければ
 いけない部分がでてくるでしょう。今の世の中、恋愛してセックスしていないと
 ダメ人間、みたいな風潮があるからつらい」

 卵が割れただけで十分怖い、世界を描く。

 「他人の中で生きていくのに、楽しいことだけしかないって言うのは嘘。
 他人を元気にするために自分が疲れていちゃしょうがない。そういった意味では
 ”疲れ””あきらめ”も、成熟ってことなんでしょうね。だから私がこれから、
 自分と同じ世代の女性の漫画を描くとしたら側にデン!と『向田邦子全集』を置いて描きます」
 「信条はセックス・ドラッグ・ロックンロール」の岡崎さんの口から、よもや向田邦子の
 名前が出ようとは。
 「うーん移行期なんでしょうね。でも何も過剰で過激な表現だけが、怖さを表現するものでも
 ないから。私、今でも覚えているんですがドラマ『阿修羅のごとく』の中で浮気をしているらしい
 おとうさんの”らしい”が確信に変わる瞬間に買い物袋の中で卵が割れるんです。
 本当に卵が割れるだけなんですが、子供心にもこのシーンは怖かった。
 家庭というのは最小単位の社会、だから、その中でも他者とのズレや事件は起こるんですよね。
 今は描けないけれど、そんな怖さ、必ず描きたいです」
                   *
 ”終わりがない”ことに疲れたら、岡崎さんの本を読もう。読み終わった後で残る”何か”が、
 疲れた気持ちを変えてくれる。



(著書紹介・「ジオラマボーイ パノラマガール」「エンド・オブ・ザ・ワールド」)
 「10代の頃から、本当にユースカルチャーが大好きで、何に対しても誰に対しても、
 『かんけーねーよ』って態度をとってましたね」と岡崎さん。最近ではそんなユースカルチャー
 好きから、一歩出たという。
 「その分、客観的になって外側から見られるようになりました」
 漫画に対しても、やはりデビューしたての初期の頃は「この気持ち、伝えたい!」という思いが強く、
(一部滅失)漫画にできないことに、(一部滅失)していた。(一部滅失)の作品には、一種妙
 (一部滅失)感じがある、と自分(一部滅失)それに比べると最近の(一部滅失)も抜かなくなって
 きたしちゃっちゃとやって遊びに行くなんてしないから、作品として、自分の納得のいくもの
 をあげている、かな」 



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